無題
仕事を休んで2日目。3日前の深夜、電話をきり眠りにつこうとしたら胃が激痛。ついに吐き気まで伴い胃薬を飲んだ。なんとか眠りにつけたものの翌朝、起き上がることすらできない胃痛で目覚める。とても運転できるところか人との会話もままならないと判断し、お休みの旨を会社に伝える。その後も痛みが和らぐことなく悪化。廊下で痛みに耐えきれず発狂し、意識がなくなる。あとあと聞くと呼吸が早くなり痙攣が始まったらしい。目覚めると救急車の中。聞こえてきたのは体温35.8℃。そのあと目覚めた時は病院で薬を飲まされるところだった。約1時間に及ぶ点滴が終わり痛みが多少和らぐ。家に帰れると帰路に着いた数分後、激痛が再発。また病院へ。エコーをとり、やはり身に覚えのある病気だった。先生に病気の説明と薬の説明を聞き、家に帰ったときにはもう日が沈んでいた。薬を飲み、ストーリーをあげ、痛みが和らいでいるうちに眠る。起きたときには深夜。ゼリーを食べ、また薬を飲む。上げたストーリーからコメントがきてる。上げた理由は具合が悪いから連絡遅いのを察してくれ。といういみのみだ。心配してほしいからではなかったけど、普通に嬉しかった。翌朝、痛みにうなされることなく起きることができた。仕事場には申し訳ないが今日もお休みをすることになった。薬の影響でむくみがひどいのでお昼ぐらいから散歩をする事にした。マザーの職場まで歩き、お昼を食べよう。いつもなら走って10分で着くはずが、歩いても歩いてもつかない。痛みが出てくる。そんなどうしようもない体調に苛立ちを感じる。歩きながら、生きる事がいかに儚いことかを感じる。明日が来ないとしたら何を思うだろう。SNSでペアのネックレスをつけていることが目に入る。そんなことできるのならば、さっさと金を返せ!といい殴りたい。そしたらきっと気がすむだろうとか、仕事を辞めたいとか、旅行をしたいとか、好きな人の横にいたいとか、バンドとツアーを回りたいとか、明日は必ず来るけれど、同時に、時はどんどん過ぎてしまう。
やっとマザーの職場のショッピングモールにつき、大好きなタリーズコーヒーでホットケーキを注文した。案の定全く食べれない。けど、こういう日も悪くはない。
無題
さあ今日は立川のサーキットイベントへ。94年世代がやってるので、無条件でたのしみ。
GW最終日で激混みであろうから早めの出発。
行きは、テキサス3人と合流して途中から運転。そしてバトンタッチしてノスケさんの安全運転で再出発。
機材車から見る窓越しの景色は今日も最高〜
初日
朝、前の学校で担任をしていたクラスメイトが山形先生がいなくて寂しがってると連絡があった。耳を疑う。
もう治った話だが、先週久しぶりに月曜日から金曜日まで仕事から帰宅して一人でひたすら寝た。それにもかかわらず寝ても寝ても眠たくて、仕事中眠すぎてしんどくてトイレで寝たこともあったな。睡魔といろんな雑音が頭で渦巻いて吐き気すら湧いていた。
一体アレはなんだったんだろう。
日曜日、本当に久しぶりにゆっくりできる時間が1日あった。結局ほとんど寝て終わってしまったけれど。
以前の恋人に話したくない時こそ話さなければいけないし、会いたくない時こそ合わなければいけないと言われてからほぼほぼ毎日電話をし、誰かと会っていた。
でも、ひとりの時間が必要でそれが私にとっての息抜きであると痛感した。心身ともに疲れていたみたいだ
きっと前の学校にいたら、そんな私を察して、元気ないな〜人としては軽いけど人間としては重いよな〜生理だろ〜って生徒は言うだろう。おきまりのセリフ。デリカシーがないな。でも小ちゃな親友のようだった。
そして迎えた今日。新しい学校での生徒との初日。私は今年、念願の3年生の担任。
色々とフリースタイルな学校で、あまり怒ったり、せかしたりしてはいけない。と言われていた。
自己紹介をし、そのあと、ロッカーに教科書をぶち込んでください〜と言った後のざわめき。やばい。前の学校の名残が。初っ端から優しい先生を演じていた仮面が剥がれた。
もういっそのこと、このままの私でぶつかってみようと思った。一か八かの勝負。意外と悪くなさそうだ。
やんちゃ上がりの生徒、内気な生徒、不思議な生徒、様々いる。学校しからずだけれども。
地に足をつけて生きていく武器を。
久しぶりに走りに行こう。風は強い。
無題
good morning
ただいま電車の中 充電17パーセント
今日は久しぶりにFM出勤。続きはついてから書く
一息。夜中に店長コウヘイさんから連絡きてて今日いないからよろしく〜て書いてあった通りコウヘイさん不在。可愛い後輩ちゃんと、使えないリョージさん(仕事で手を怪我したらしい)とメスカリンのPAさんと。
珍しく早い出勤で時間を持て余したので事務所を片付けていた。横で使えないリョージさんに珍しいな〜仕事ちゃんとしてんの〜って叫んでるけど、絶対リョージさんよりいつも仕事しとるしな!って思いながら片付け完了。
片付けながら思ってたけど、とあるレーベルのサンプルとポスターの山。最近、ライブハウスが立て続けに潰れてくけど、ライブハウスとライブハウス、レーベル、バンドがそもそも相互機能してないと思う。だから私は嘆けない。
そのレーベルはよくディスられてるけど、私はこういうレーベルがいるから音楽業界が成り立ってると思う。リリース前にいつもコメント付きのポスターとサンプルが送られてくる。そのバンドがFMに出なくても。でもそれによってきっかけができる。そういう地道な積み重ねがライブハウスとバンドの相互フォローに繋がる。本来ならライブハウスとライブハウスもマンスリーを置きあったり、そういうことが昔はあったのにどんどん希薄化していく。良くも悪くも機械化の社会だ。
リョージさんがお弁当を頼んでくれてたみたい。いい匂い。いただきます。
いつかの別れについて
年明けのライブハウス。確かその日は、名古屋のイブハウスに行きたくて仕方がなかった。が、教員の仕事が午前中は入り、なくなく帯同予定のバンドに断りの連絡を入れた。午後FMのスケジュールをみると懐かしいバンド、LUCCIが目に映った。FMについてから打ち上げまでの記憶は案の定一切ない。そもそもバンドすら見てなかった。
その日はイベンターの方のイベントだった。みなイベンターの意味をはき違えているのも虚栄の心理ではないのか。なぜか「負けませんから」と一言吐き捨てられたのは何となく覚えている。上等だ。無性に無敵な感覚だ。
そのあと珍しくお酒を飲み、元彼氏のライブハウスでお世話になった方とお酒を交わした。気分がよかったのもあるが気づくと同い年の人たちと円になっていて、そこに彼が乱入してきた。
意気投合し、私の始発の電車まで彼は待っていてくれた。その間、元彼女の恋愛話を聞かされていた。その日から連絡をとるようになり流れにのまれ、お付き合いの始まり。まあ馴れ初めなんてどうでもいいか。
そこからは彼のバンドの遠征先で落ち合うことがほとんどだった
一緒にいればいるほど、自分の内在していたものがあらわになる。彼はまっすぐが故に何かに怯えていたようにみえた。私が味わったあの3年前と同じ状況か。私はそれをわかったふりをして目を閉じた。救えるのは自分自身だ。私ではないと悟った。うらやましくも悔しくも。
彼といるとなんとなく冒険したくなる自分もいた。転職サイトにも登録した。でも、私は過去がやっと消化され、思い出になってからすべてを大事にしようと決めた。家族もフレンズもファッションも音楽も全て。何かを犠牲にしてまで愛を選ばないと。でもきっと何事も終わりは来てしまうのだろうと思うと少し寂しくなる。だからこそ寂しさをいろいろなことで埋めた。それが彼からみたら「貪欲」だったのかもしれない。本当はそうではないが、彼は私の自由さを懸念した。
すきを共有できること、一人の人間を大事にすることを少しであったが与えてもらった。あと、お金で恋も愛も買えること。憎い。きっと彼は私といたことで見栄や虚栄や妬みが懸念に変わり果てただろう。加害者といわれてしまった。害を与えてしまったのならば、即席の感傷だ。
人の痛みをわかってあげれるには、まず自分の悲しみと向き合いたい。
孤高
久しぶりに感情を文字起こししたくなったので書こうもう2時半だ。 今まで書いていた日記はいつの間にか悲哀の歴史として消えていった。この時間のCHARAは染みる。今流れてるのはタイムマシーン。タイムマシーンの歌詞がわかるようで理解しがたい。
恋人はもうこない 時代は戻らない。
余談なのか本題なのか、ここ最近で別れがあった。それについてはまた気が向いたら書くことにしよう。それを知った人間たちからの立て続けの電話。相変わらず情報社会だな。元気ないな珍しく落ち込んでるならしくないな 早口言葉みたいな言葉が並べられた。
思い込みとか理想とか悲観とかいろんな主観が多かれ少なかれ事実とは多少ねじ曲がっていることは、仕方がないことだ。でもそれぞれが私にぶつけてくる感情はなぜこんなに重いのか。それは愛と捉えればいいのか。
「孤独」と「孤高」の違い。今の自分は孤高といいきれるのだろうか。悩ましいな。所詮、人間同士の交わりあいだ。悩めるうちが華なのか?でもわたしは悩みがない方が幸せだな。明日もまた精神の鍛錬を重ねる。あと3時間後か。さあ、そろそろ寝なくちゃ。眠たくなっちゃったと言い残して電話を切ってから早2時間は経過したな。
愛する人へ おやすみなさい。