いつかの別れについて

年明けのライブハウス。確かその日は、名古屋のイブハウスに行きたくて仕方がなかった。が、教員の仕事が午前中は入り、なくなく帯同予定のバンドに断りの連絡を入れた。午後FMのスケジュールをみると懐かしいバンド、LUCCIが目に映った。FMについてから打ち上げまでの記憶は案の定一切ない。そもそもバンドすら見てなかった。

その日はイベンターの方のイベントだった。みなイベンターの意味をはき違えているのも虚栄の心理ではないのか。なぜか「負けませんから」と一言吐き捨てられたのは何となく覚えている。上等だ。無性に無敵な感覚だ。

そのあと珍しくお酒を飲み、元彼氏のライブハウスでお世話になった方とお酒を交わした。気分がよかったのもあるが気づくと同い年の人たちと円になっていて、そこに彼が乱入してきた。

意気投合し、私の始発の電車まで彼は待っていてくれた。その間、元彼女の恋愛話を聞かされていた。その日から連絡をとるようになり流れにのまれ、お付き合いの始まり。まあ馴れ初めなんてどうでもいいか。

そこからは彼のバンドの遠征先で落ち合うことがほとんどだった

一緒にいればいるほど、自分の内在していたものがあらわになる。彼はまっすぐが故に何かに怯えていたようにみえた。私が味わったあの3年前と同じ状況か。私はそれをわかったふりをして目を閉じた。救えるのは自分自身だ。私ではないと悟った。うらやましくも悔しくも。

彼といるとなんとなく冒険したくなる自分もいた。転職サイトにも登録した。でも、私は過去がやっと消化され、思い出になってからすべてを大事にしようと決めた。家族もフレンズもファッションも音楽も全て。何かを犠牲にしてまで愛を選ばないと。でもきっと何事も終わりは来てしまうのだろうと思うと少し寂しくなる。だからこそ寂しさをいろいろなことで埋めた。それが彼からみたら「貪欲」だったのかもしれない。本当はそうではないが、彼は私の自由さを懸念した。

すきを共有できること、一人の人間を大事にすることを少しであったが与えてもらった。あと、お金で恋も愛も買えること。憎い。きっと彼は私といたことで見栄や虚栄や妬みが懸念に変わり果てただろう。加害者といわれてしまった。害を与えてしまったのならば、即席の感傷だ。

人の痛みをわかってあげれるには、まず自分の悲しみと向き合いたい。